沖縄に来て、毎日海やドライブなどレジャーだけ過ごすのもいいですが、是非立ち寄ることをお勧めしたいのがひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館です。

2017年現在、僕がここに来るのは4回目くらいになります。なぜ何度も来るのかというと、前回小さかった子供が小学生になり、戦争のことも少し理解できるようになったので、何かを感じて欲しいと思ったからです。

ひめゆりとは

そもそもひめゆりとは、第二次世界大戦終盤の沖縄戦の折に、第三外科壕に学徒隊として従軍していたひめゆり学徒隊にちなんでいます。このひめゆり学徒隊は、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師・生徒で構成された中高生で組織されたものです。

右手の方に、沖縄戦とひめゆり学徒隊の大まかな移動の経路が分かります。3月23日に動員命令が出され、両校の女子生徒222人と引率教師18名の合計240名からなる学徒隊は、沖縄陸軍病院(通称・南風原陸軍病院)に看護要員として従軍するようになりました。

沖縄陸軍病院といっても、塹壕の中の不衛生な環境下のものだったたしく、そこで負傷した日本兵の看護を担当していたそうです。病院では手術で切断した手足の運搬や、麻酔なしの手術で暴れる日本兵を押さえつけたり、食事を運んだり、糞尿の処理をしたりとまさに壮絶なものだったらしいです。

しかし、敗色濃厚となった6月18日に突然解散命令が出され、後は勝手に逃げなさい、ということになり、最終的には教師・学徒240人のうち136人が死亡。痛ましいの一言です。

ひめゆりの等

ここがひめゆりの塔です。多くの人が献花して亡くなった学徒隊の冥福を祈っていました。ひめゆりの塔の手前はがまと呼ばれる天然の洞窟になっていて、ここは戦時中に第三外科壕として使われていました。他にも使われていたがまはあったようですが、この第三外科壕で多くの人が亡くなったため、ここにひめゆりの塔が建てられたそうです。

ひめゆり平和祈念資料館

その横にあるのが、ひめゆり平和祈念資料館です。見て分かる通り、このひめゆり平和祈念資料館は沖縄師範学校女子部や沖縄県立第一高等女学校などの学校を模しています。

この中に行くと、ひめゆり学徒隊を中心にした沖縄戦についての様々な資料を見ることができます。30分のアニメも視聴できますが、あまりに壮絶な体験に涙が止まりませんでした。

ここが中庭。館内は撮影が禁止されています。

しかし、ここに立ち寄って思うのは日本にある米軍基地の多くが未だ沖縄に集中している今現在も、沖縄県民にとって沖縄戦は終わっていないのだということです。

辺野古の基地移転については本土にいてもよくニュースに出てきて、冷静に見ると危険な普天間の飛行場が田舎に移ることは実にメリットの大きいことのように思えます。

しかし、沖縄戦で多くの犠牲を出し、未だ基地問題に苦しむ沖縄県民にとっては、合理性だけでは割り切れない感情というものがあり、そういった感情が基地反対運動にも繋がっているのだと痛感しました。